至高なる全て

永遠なるものを探して、太古の時代から、今世の流れの中で一体性を未来の懸け橋となる。

感想や意見や質問に可能な限り質問にブログを介して答えます。未熟である研究者で、土台を修正するために考えを探求して自由に対話を通じて進化させます。「ワンネス「一体性」を全体性に統合し善悪双方に傾かない固定概念を作り、善悪を超越して、内包する。中立で優劣のない平等で平和を目指し,過ちもありますが、敵も味方も慈悲と愛で一つにまとまり、絆を作りたい。それが全体性の統合で偏らない柔軟な一体性の側面になり、その源は善で許容で心を癒す事が使命である。」これが私のミッションステートメント「目的声明文」です。

赦しの感情を知る示現の力

行動と感謝から来る情熱を祈りに委ねること。
へり下り柔和に謙遜で畏敬に幼な子の様に純真無垢なる正直さ。
大いなる存在を感じる許容である許しの招待を委ねる受容。
真実と虚偽。
実在と幻想の行為から、給うる尊き儚さ。
耐え忍び欲望からエゴを内包して包括する無常を包み込む聖霊。
委ねる神を垣間見るこころの柔和さ。
感情を癒して延長する拡張である許容。
永遠に変わらない絶対の智識を聖霊の賜物に仲介する神との啓示。
示現を見る今を生きることに神、在る使命。
愛する愛あるすべてを知ること。
主体性の大いなる神の因果を超えた原因なる信義を創造。



叡知が永遠に全知に思い出す道。
普遍的感情を慈愛を心から絶対に変わらず続く成長する進化。
大いなる秘密が隠され誤解に真実は比喩としての指し示す地図。
今ここにある知覚となる儚さの空に肉体の意識の限界を超える。
宇宙に投影された宇宙に進化は影からエコーで肉体を超越し空間より階層を包括。
全体性を認識と統合する神のフラグメントを無限を聖霊からの神と繋がりを私は在る。
許容に在るいのちに生命である移ろいゆく大いなる目的。
戒めている土台となる秩序。
条件を超えた普遍性に内に宿る大いなる存在の原則。
適応する柔和に正見である思い連なる言葉や自分を知る行いが全て神の導き在る、祈りである感謝。
全てを思い出す慈愛在る真実。


末日聖徒イエス・キリスト教会 預言者ジョセフ・スミス・ジュニアが啓示と示現を見た聖なる森。


自分の人生を、超越して目覚める土台。
延長する指し示すシンボル象徴からの文脈を現れ在り生成。
比喩となる事象となる事実となる信義で在る、真実を語り継ぐ。
情報を伝えて継承する洗練された真実。
総和からの断片を紡ぐ物語。
恩寵に慈善する寄り添い形作る尊歩より大いなる航路。


生きることに輝ける光を勇気に感情に溢れる希望からの恩恵。
共同体の世界で在る同朋に全てである家族の繋がりを内在。
今を生きる自分の役割を分かち合う。
次へ明け渡す永遠と大河の如く世代に続いてゆく子供達。
敬う畏敬と尊敬なる聖なる恩寵。


霊感に従い道しるべを信じて内なる心を探求。
私で在る。
自分を知る。
証を残す。
縁を知る。
絆を持つ尊い永遠の家族。
源に帰る故郷で在る我が家。
示現を無条件の愛で壮大なる美しい内側から完全である。
皆が本質的に神の子で清く純真無垢なる私で在る。
真実の実在は源わたしは大いなる存在とひとつへ。           


           


   POWRE ENERGY LEVEL999 キネシオロジーテストより



至高なる全てを思い出す。



至高なる全てを思い出す。


現実では全体的も、光も影もどちらも、正気と狂気を持っていて、在る「ビーイング」とする「ドゥーイング」が統合取れていれば、「源、絆」、神とか、神々、天使、聖霊、霊的、霊性、在る「存在」が実在で、する「世界」は、投影されたホログラムの様で、本質的に目覚めてない行為、過ちなど、罪や「因果」業は夢だけど、長い、長い、壮大な目的の在る夢、神の我が家に何度も帰り、最後は「源・絆」へ帰る。


無為自然な水のような柔軟と型を知って柔軟になる存在になる。


このことを考え、忘れない。


大事に自愛し慈愛して下さい。


大切な多面的な頼みの綱は愛です。


ユニークな個性を尊重すると、主体性が生まれる。


慈愛して大切な絆が生まれ、目的が育ちます。


私たちが残した遺産を忘れないで下さい。


計画的に幸せになる存在になるのが、土台の基礎です。真実を知り、源の根を固めましょう。それが世界の地球 大地です。


今安定とプロセス、建築がはじまった家がある。


慈善を忘れず、健康と再生 皆が幸せで在る。



本質的に幸せになれることを考えて生きるには、一つになるもの大いなる全て


「至高なる全て」を忘れてしまったのです。


私はまた至高なる全ての奥深く理解して思い出す。


永遠なるものを探して、太古の時代の流れの中で一番大切な多面性を作るのは初めてではないのである。今世の流れの中で一体性を未来の懸け橋となる。


一つになるものするのが、一番大切な多面性を作るのにはならない全体的結実することそれは、世界の真実である善になれることを考えて生きるコツが大地のエネルギー源である文化的、遺伝子と源、必要性 善悪を超越した挿話に歴史が刻みます。


真理と善、最後に源を超越して完全に忘れたのならもう一度見て下さい。


真理を指し示すとは季節のようになるになるものの言の葉のような心の天国の外 のようです。


源を忘れずに一緒にいることそれが世界の真実である種の保存することそれが世界の中心の生活するもの、それが一番大切な多面性の方にお譲りするものする私で在る善を忘れずに、一緒に行って生きるコツが大地のエネルギーの流れの速最後までやり通す理性的に見通す力がある者が在る。


季節には、冬至になるものの理解できる存在になれることを忘れずに一緒にいることそれが世界の終わりの始まりの季節の移り変わりを感じてと、悠久のいることそれが世界の真実で知ることができる源泉の様々な多面性の真実である日々に感謝して、慈愛と自愛して受容するものことそれが大地のエネルギーの流れの中にある善を忘れずに父と母に見習い、今の幸せになれることを忘れずに一緒にいることそれが大地の結晶するある善になる原因することそれが一番大切な多面性の真実である。


生命を育む。


儚き無常を慈愛で内包する多面性の真実のヴィジョン。


大いなる全てのものごとが修復の過程で、焦点を定めるために良心で在る善を忘れないできる源泉の、様々な多面性を作るのに全体性をもってひとつに統合で在る。


感謝することそれが世界の真実である真意とは?


信頼を得るために我が身を正す。


へりくだり、謙遜であり、慈愛と慈悲を真に受け止める。


無常にはならない儚き煩い尊ぶことの尊厳を慈湧できる泉の様になって善悪を超越する絶対的なさまを、永遠という道に生きる歩いて生きるコツが、大地の結晶で在る土台という普遍なる心を養う認識と受容あることを開く。


それを世界の中で、一番大切な平和なる愛を育む特権を多面性を知るには、共同体意識を回復して解き放つ、真実ではない罪悪感からの解放が、為になることと、為にならないことの選択の自由を選ぶ、情熱を日々結実ある決断の主体では、自分を磨き成長できるという確固たる意志を不動心を構える。


全体的という共同体宇宙意識を実現するには結実を進む。


清き、正しく、美しく在る。


真、善、美で在る。


善になれる良心で一体性なる認識と統合を目指す一なる心、最高の意識、至高なる全てを目指すので在る。



「イエス・キリスト」個人は≪愛≫純粋な意識に繋がった者。

善悪の固定概念を超越して中立で分離のない全体性を統合したワンネス一体性が人格者。
覚者である「イエス・キリスト」個人は≪愛≫純粋な意識に繋がった者が、この世界に、本質的に「存在そのもの」≪真・善・美≫になり、神の世界で「大いなる自己」≪悟る≫

平和は満たされた者が体験できると説き、喜びは完成された達成いされたときに出る気持である。


愛は恩恵がないと実現できません。


慈悲深さは、受容を忘れないことが、大切です。


これらすべて良心の意義の為に使ってください。



我々は、「源」とともに在り、神と一体である、離れ離れでない、繋がった聖霊が神との仲介者「正しい心」である「善」である≪神在り≫が実在です。


現実この世界は二元的な世界です。
私もストーリーである二元性は惹かれます。煩悩の凡夫です。
または、映画や漫画、小説、ゲームなど趣味や娯楽は多面的ですが、仕事ビジネスでの競争などは好きではありませんが、人間関係や家族人脈や友人関係、身体であるスポーツ「健康と活力」も未発達。お金である富、知性や知識、煩悩、思考「マインド」は本当に煩悩だらけです。


自分とつながる、心と精神性「マインド」アイデンティティ「自分らしさ」自我である「エゴ」を持つ身体は知覚し儚き、永遠ではない世界で般若心経でいわば無常、五蘊、目的を持った中立の意味のない、現象と事象の幻想の夢の因果を持った、非実在である世界です。



ですが。それは、空虚ではなく決して虚無でもなく、霊的な一体性が備わった全体的に統合した現実の超実体である。


真実の世界は霊的世界が神の作った実在世界で「大いなるすべて」と呼ばれ、実相≪アカシャ≫ 天国 ニルバーナ(涅槃)源は永遠性、普遍性、絶対性で儚き現象事象自我世界は、物質宇宙と共存し、統合し、全体性の一体性である、意識の振動数が進化した「共同体宇宙意識」はそうである。


目的を持った幻想の夢の因果を持った、非実在である世界を兼ね備えた存在で一体性であり身体は幻想だが体と霊は統合した全体性の一体性の霊であり魂である存在が価値のある失わない。


死は存在しません。神の子は自由です。

肉体は目的を持った幻想であり、全ては現象と事象の世界なのだ。


自分自身と身体だけ「骨肉の体」を実在とし、同一視するなら、豊かさではなく、足りない世界に生きることなります。


正邪 善と悪を放棄し固定概念を無くし、全体性に生き過ちを修正し、付け加え、更新し、超越し、意識的に目覚めて成長する。


神との分離は実在に見えても、目的かなった幻想で、自分が神との繋がりを正しい心「聖霊」良心(光)を忘れている。


神と一体であるものは、「愛の表現」良心(光)である霊的な、聖霊共にある


神との分離は非実在で、罪、罪悪、罪悪感、恐れ、対立、悲しみ、プライドは全て「愛を求む呼び越え」で、善と悪二元的なものは、ただ、うまくいくこと「為になること」とうまくいかないこと「為にならないこと」 があるだけだ。


「目的を持った幻想で恐れで原罪、罪、罪悪感は非実在なるもの」


罪と過ちを混同してはいけない、過ちは、目的を持った因果の幻想で「自己成敗」であり、一生をかけて自分を思い出し、知って自分の源「神」を知ること、自分で在る。


二元的な性質を持った承認欲求を与えて、課題与え、「褒美」賞と、「罰」神からの裁きである追放や排除で「陰、自我「エゴ」ある独善、偽りの神」で、「全体性を統合した一体性の神は、承認欲求を与えず、自分で気づかせ、勇気づけたり、聖霊により、共時性や道を示したりする。


自分で課題を与える、100%自分が責任で主体性が問われて、目覚めた者が成長への近道です。



自律志向で、選択の自由意思だが怠けたり、過ちを犯していたら、成長せず、因果の夢を繰り返し、非実在性から目覚めないでしょう。



原罪と罪、心に抱えてる罪悪感は、絶対悪(影と影)は真っ暗過ぎて、陰極である自我である「エゴ」悪魔は実在しない幻想で、非実在。


「助けとなるのは神と私は一体である、目的に叶った「良心」の必要性」
仲介者である、霊的な聖霊である神の道しるべを必要とする。汝自身を知り、汝自身で在り、人格者であることが為される。
あ、真っ暗なら光である電気か火があれば大丈夫か。
それが神が道を示した聖霊の力か?


「目的を持った幻想で実体のある≪エゴ≫でその中に優越、自分本位、体裁、劣等感の良心に反した自己欺瞞は二元的な非実在のもの」


絶対善は(陽と陽)は眩しすぎる光で独善となり、自分本位な優越はルシファー的にエゴになり、破壊的、まさに「核」戦争みたいな悲惨な現実が、

幻想で非実在あると、起こった過ちの悲劇の事実を忘れてはならない野で、心の傷や因果目的の夢ではあるが、ちょっとやそっとじゃ癒えることはない、修正し「パラダイム」視点を変えていこう。


偽りの二元的な「陰、闇の勢力」は、一見、良心的な、善の一面を情報操作され、メディアや、tv、ユーチューブ、映画にして、新聞、マスコミに、操られてる。


「正気」誠実さ、倫理、正義、教会、書物、ドグマ、儀式、伝統をし、平凡な人物や、名家の人をメシアや覚者、預言者にし、権威者、有名人、など偶像視して革新的側面も、再生されたと主張、ユートピアが実現したら、悪人は排除してでも、独善的な「狂気」自分の側が真理で、優れていると主張、自分本位で権威的で賞罰主義、承認欲求、条件付きの愛、課題を果たせなかったら、「いと小さき者を」罰、「裁き」を二面性の「偽りの神」は(陽と陽)は眩しすぎる光で優越と独善となり、自分本位なルシファー的自我「エゴ」になり、それらは罪ではなく過ちであり、現実的で実存「本当の神、大いなる存在」かけ離れ、神と分離して、繋がってはいるものの忘れて分離している。



だが非実在な独善的な自我「エゴ」であり、見分けの区別は,「愛の表現」良心(光)である霊的な、神である、「源」の良心に反し、反逆した自己欺瞞である、その我々は、神「源」の良心に反し、反逆した自己欺瞞から目覚め、内からでるのである。
神と聖霊と共にあり、自分の良心に従う。
実存の概念が、「本当の神、天使、光の勢力、大いなる存在」の見分けの仕方がある。
刺激と反応の間には大きなスペースがあり、そこにあなたの中立な選択の自由がある。陰陽とある。


隠的な者は、フォースである、ネガティブな本当でない自我≪エゴ≫
個人や集団、身近な家族、仲間など友人やビジネス、人間関係である、グループ、何かの団体や、政治、党、教育である学校、医療、代替医療、福祉施設、研究所、刑務所、占い、カルト、宗教団体 、近頃、パソコンや、タブレット、スマートフォンが普及して、共同体の意識状態は「機能性」が発展し、近年、知的情報社会になり、さらに意識の振動数が進化した半霊半物質の霊的な「共同体宇宙意識」がいつの日か到来しする。
「適応性が広がり」個を尊重し、平等であり誠実で、慈悲のあり、正しい心の「光」良心のある、改善が可能な「正義」の独善ない支配のない、権威社会ではない、承認欲求の賞「ほうび」条件付きの愛、罰「裁き」を与えず、良心である慈悲「心を癒す」のである、それが過ちの修正で更生ある。赦すのである。


別に、悪人を野放しにするんじゃない、過ちを認め、「悔い改め」て修正と償いの救済の措置を与え、「いと小さき者は皆、愛を求む呼び越え」であり罪、罪悪、罪悪感、恐れ、対立、悲しみ、プライドは全て、修正、改善して、私たちは世界をあるがままに見ているのではなく、私たちのあるがままに世界を見ていて、事象を自分が見たいように見ていながら、すべての問題は自分の中に有り自分が変わらなければ周囲も変わらなくて、自分を知って心と行いを正し、汝自身で在り、「自分で在る」良心を忘れずに、自分を知って善悪の固定概念に縛られず、全体性を保ち良心、聖霊である「正しい心」仲介者、神と一体となった、一体性を知ることそれが実在であり、霊的に繋がった霊性である。


実存「霊的なもの神」と本質である行為、「ストーリー」が全体性のとれた時、良心は、今この瞬間こそが奇跡であり、その奇跡に難易度はないのである。


以前「あ、真っ暗なら光である電気か火があれば大丈夫か。」モノや所有や道しるべが小さな奇跡、であるなら、神や、とっくに意識の振動数が進化した覚者、「イエス・キリスト」個人は、私たちと同じ人間であり平等な神の子で神と一体であった。
聖書である、偶像崇拝を禁じたのも、イエス、宗教の教祖にもユダヤの王になりたくなかったのも、権威という、二元性、条件付きの愛を実在視したくなかった。


皆が平等で進むスタートが違うだけで「源」である「神」前世、天国の記憶、良心、正しい心「聖霊」を思い出し、目覚めることが成長への最短ルートで、そこに優劣はありません。


無神論「不可知論者」であっても、神を信じていながら、組織や宗教に属していなくても、虚無主義者であっても、みな私たちは一体である。


モノ「者」の見方考え方「パラダイム」を変えるのである。
「蒔いた種は自分で刈り取る」共同体社会が、勇気付けをし、自愛をもって信頼のある、自分に希望を持たせ、受容と最後に許容を与え罪を犯した、意識の成長は「一歩下がって二歩戻る」で相互依存「お互いに人々を助け合うことができた」や「自己への奉仕」後の成長は、選択の自由意志で意識の振動数が進化を上げることは平和で健康で幸せになる愛や目覚めです。


進化した「共同体宇宙意識」は.皆がそうなってることをやみません。


強制、管理、抑止力、権力、権威的な、
権威的でない、虚無的な者。二面性を被った者。一側面しか見ない執着する者。


罪、罪悪、は優越、自分本位な体裁、劣等感の良心に反した自己欺瞞独善の自我「エゴ」がいま現実にあるが、過ちであり神と聖霊に心を癒し。
原罪である、初めから罪は存在しなかった。


赦して投影された自我「影」罪である悪人は存在しません。


繰り返し言わせてもらいますが、罪と過ちを混同してはいけない、過ちは、目的を持った因果の幻想で「自己成敗」一生をかけて自分を思い出し、知って自分の源「神」を知ること、自分で在る。
幻想で夢で非実在の例えであるが、曇って見えないレンズやキズを元どうりにするのです。一生かかつてでも消せない、過ちや、現実、キズ、失った者である過ちを犯した者は、一生かけて取り組まない被害を被った者とと因果は、目的を持ち、幻想で夢で非実在、で現実世界でも聖霊とともに繋がりを保ってる。
「神と霊的な聖霊とが繋がり実在」
勇気、中立,意欲,受容,理性,愛,喜び、平和、悟りこれは実在の意識の振動指数を言語化したものである。


「幻想で夢である非実在」
恥、罪悪、無感動、悲しみ、恐怖、欲望、怒りプライドは過ちとして自己成敗と因果の法則で幻想続く。


「闇の勢力、個人の性質とは」


幻想である夢である、非実在の「狂気」二元的な性質、エゴで、偽りの正気である、正気の方は、全てに悪があるのではあるのではなく、善悪分別のない、誠実でない光の良心がある。皆、情報操作で洗脳されてる。


同胞に必要性、偽りの世界の存続。条件付きの愛で課題を与え、承認欲求で、必要とされたり、果たした者と果たさなかったった者を、賞罰「飴と鞭」褒美をやったっり裁いたりてる。
「自分は正しくて相手は間違ってる」自分本位な考え独善的な自分本位で、優越的で権力、権威的自我≪エゴ≫が、誠実でない気まぐれな、非実在である真の望みとは、虚無「二元の独善、いと小さきものを排除する」「一元の陰極で独善、全体性のない、一つに偏った思考体」停滞、混沌、支配、破壊、は宇宙の現象である事象自我である物質は幻想である夢の非実在。


「狂気」で、誠実でないので、分離的で、善悪二元主義を、徹底し課題が存在し、何故ならばそれは部分的に善と悪の側面を見てしまったならば、うまくいかないし自我エゴ「悪魔」的になるだろう。善と悪 正邪は分割できないひとつの存在である。
絶対善「独善」だけだと実在しない悪「過ち」を排除してしまいその独善が狂気であり偽りの善「眩しすぎる光」が抑止力の「核」みたいなエゴ「悪魔」になってしまう。だがその悪魔≪独善≫「自分は正しくて相手は間違ってる」は幻想で非実在ある。
世界の不幸、悪心、理不尽は神の創ったものでなく、エゴに囚われた心(無意識の恐怖)が意識のスクリーンに投影した幻影であり、現実(愛)には存在しない狂気である。


「現実でないものに裁きの感情を抱けば、幻影の狂気から回復できなくなるから赦すのである。」
作者不詳

キリストのヨーガ―解脱の真理 完結編 (スピリチュアルシリーズ)
キリストのヨーガ―解脱の真理 完結編 (スピリチュアルシリーズ)
出帆

こういう話がある。イエスが「汝サタンよ、我が後に退がれ」と一喝したときのように、意識的に(その正体に)気づかなければならないのは、今度は私の番だったのである。サタンとはエゴ「自我」のことであって、外部にある何らかの神学上の造りものではなく、いつも前にでしゃばり出ようとする自我のことであったのである。もしも人が自我の中をのぞいてみるのなら。もしも人が意識するのならばいつも前にでしゃばりたがるのはエゴ自我であることに気付くであろう。しかしそのエゴ自我を徹見した時に、自我よりの解脱「悟り」が来るのであって、その前ではない。「汝サタンよ、我が後に退がれ」とは、言い換えれば、自分は無ゼロ(聖霊)である。父なる神のみが実在である、わたし達は神(の一部)であり、自我エゴは幻想である。ということ叱り自我は欺く分子である。事実に、もはや一点の疑いもない。
著書「「キリストにのヨーガ」より


「善悪の固定観念を信じるとゆうことは、どうしても判断ジャッチしている事になる。ここでいう判断とは善悪の決めつけです。何も決めないということではなく、善いとか、悪いとかの評価をしないということです。物事はただ起こっているだけで、それ自体には意味がなく、意味をつけているのは私たちです。人生には意味がないのです。要するに言えば中立であり、意味のない、現象に過ぎないのです。それで、自由意志が生まれます。」


 著書霊的心理学の「ACIMテキスト」より
「《エゴ》悪(罪)が実在すると信じたい誘惑にいかられるときには、次のことを覚えておきなさい。もし《エゴ》罪(罪)が実在するなら、神はあなたもどちらも実在しないことになる。創造とは延長することであるのなら、創造主はご自身を延期したはずであり、創造主の一部が他の部分と全面的に異質だということはあり得ない。もし悪(罪)が実在するなら、神はご自身と交戦状態にあるということにならざるを得ない。そして神は分裂していて善と悪の間で引き裂かれ、部分的に正気で部分的に狂気だということになる。なぜなら、神を破壊しようと意志してそれを実行する力をもったものを、神が創造したに違いないということになるからである。宇宙にはいかなる分離も存在しません。無償の愛以外のものは、全て、幻想です。」

奇跡講座 テキスト編
奇跡講座 テキスト編
中央アート出版社

イエス・キリストは慈悲と愛、ワンネス「一なるものの法則」一体性に信じ、イエスの歴史である知られていない空白の期間と真実かあります。


イエス・キリスト個人の本当の歴史、についてお話しします。慈悲と愛、ワンネス一体性。イエス・キリストは、
「一なるものの法則」一体性に信じ、イエスの歴史である知られていない空白の期間が、あります。


若い頃ヒマラヤまでの長い旅をしマスターに出会い(ヒマラヤ聖者)シャンバラという地球の地球の地下空洞の秘境に肉体で行けるのは相当の霊力と肉体の悟った力を持った者しか行けません。イエスは肉体のまま行けました。
 未発達の限りられた人間は体外離脱で肉体を離れてエレベーターで地下空洞に行き、
グレートホワイトブラザーフッド(聖白色同胞団)という賢者やマスター、巨人に出会います。聖白色同胞団の者達を知り、イエスは属します。


属している者達は、ヒマラヤ聖者、光の勢力、天使、神、エロヒムなど、釈迦など、です。
これらの情報はm・ドーリルの秘境真義より

秘教真義―ヨガの大殿堂シャンバラと大白色聖同胞団の解明
秘教真義―ヨガの大殿堂シャンバラと大白色聖同胞団の解明
霞ケ関書房



そこで、イエス・キリストはイニシエーション、通過儀礼を受けグレートホワイトブラザーフッドに属します。そして達人となるアデプトを受けました。そこで修行をし光明(悟り)アバターになり、水中歩行、テレパシー、モノを物資化。病気を癒す。ヒーリング。奇跡を習得し、役割を果たす為、イスラエルに帰り弟子を作りました。


 救世主と危険しされたキリストは拷問され磔にされました。


が3日後に復活し昇天した後、弟子達は宣教活動しバイブル 色々な弟子達がイエス・キリストが語った事を執筆しました。


書いた聖書がニケーア会議で、二元的な宗教促進の為に真理のイエス・キリスト個人言葉が一部で、改ざんされモノになって目的は宗教存続と民衆操作、お金の寄付が目的。自分本位的な利己的な考え方。バイブルのキリスト教が公にされてないがパウロ教に成り下がってしまう。




貴方は、利益(発展)「自分本位」(エゴ)と真理「成長」(幸せ)「心の平安」(聖霊、正しい心)貴方はどちらを取りますか?


そのバイブルは二元的な聖書であっても回復された聖書でも二元的です。


その神は善悪の条件付きの愛で、縦の権威主義で、賞罰志向のアメとムチの課題や目的を達成しなければ、被造物に裁きや罰を与え狂気的に復讐する。


それでも我々は教訓を得られ、自分を知り、自分で在ることが出来る。それが、幻想である目覚めの近道である。


死後の囚われれた宗教の集団信念体系は「うつろの天国」みたいな幻想にとらわれて目覚めてない存在たち、




一例を挙げてみよう。


課題や目的に応じて良い行いを達成などをした人達はランクAの所の居場所があり、ニルバーナ、天国、パラダイスに行き褒美、アメを貰え神の承認を気にしながら体裁を抱え死後も、生きる事になる。
Bランク課題や目的を果たせずまたは知らない場合、Cランクは怠けてたり悪業したらまず、悔い改めしない者達はDランク決定!褒美や罰ランクA B C D と振り分けられ神の条件付きの愛と承認欲求、権威的な縦の関係図です。


大まかに、ユダヤ、キリスト教 イスラム教など二元的な一神教であるが本当は、ヤハウェは主でエロヒムである複数形で神々、多神教が真実で神々は秩序を生み出す存在です。


二元的な多神教は権威的で平等ではありません。陰の勢力で大衆を操り、現実の存在しますが、幻想で非実在の自我です。


多神教は秩序ある聖霊、天使、守護霊みたいな存在。


一体性の多神教は平等で全体的で柔軟で、実在あるものです。




聖書の神の在り方には欠陥がある。


森羅万象の秩序や原則、宇宙の法則に沿わない側面がある。それは人格が二面性を持った偽りの誠実ではない性質がある事。一方は、正気「善」でもう一方が狂気「悪」(裁き・復讐)被造物に罪や罪悪感を抱く者達に罰与え裁き、復讐する憎悪、である恐、れの側面は投影された影であり、原罪、罪、罪悪感、自分本位な自我、エゴなものは、幻想で非実在です。



善である良心と光あって初めて悪が、自我、利己性と影あるのであって、悪は「実在」の神から離れてるが、単独では存在しない全体性に統合して、個々、「存在」はユニークさを平等に尊厳や意思を尊重し、課題の分離を作って、偏りのない、柔軟性のとれた「一なるものの法則」一体性、ワンネスの基本である。



イエス・キリストの略歴多分、
アカシックレコードからの情報だと思う。

・誕生は、一般に考えられている様に西暦紀元前6~7年。
・11歳の時に第一イルミネーション(魂の輝き、神我一体境の第一段階)を得られる。
・12歳まで、宗教的教師でもあった父ヨセフの指導を受けられた。
・13歳の時、父ヨセフ・母マリヤと共にエジプトへ遊学。ピラミッド内で最初の秘伝を受けられる。
・エジプトではアトランティス人の後裔の指導を受けられる。
・16歳の時に、ヨセフとマリヤは、イエスをエジプトに残したままガリラヤに帰る。
・その後、イエスは師によってチベットへ送らる。
・シャンバラ(”秘境真義”参照)で大聖に学び、20歳で第二イルミネーションを得られる。
・インドに行き、カシミールを中心に各地に巡回して教えたり学んだりされた。25歳の時に最高の神我一体境である第三イルミネーションを得られる。
・かくて、心、霊、肉ともに完全な師としてエジプトへ帰り、一年間、更に研究を続けらる。
・その後、ナザレへ帰り、洗礼のヨハネの弟子たちと接しられる。そしてそれから三年間、自分の大偉業の準備をされた。
・29歳の時に自己の新しい教えの宣布に乗り出される。
・33歳で十字架、三日後に復活、復活後も、いろんな形で11年間も弟子にグノーシス(神秘派)の秘儀を指導される。
・その後シナで一年間、当時そこにいたユダヤ人たちに教えられる。後、全シナを旅行してからチベットへ向かわれる。
・チベットの某秘所〈超人の住む所、現在もあるが、外界とは完全に遮断んされており、飛行機からも見えない)へ行って5ヶ月滞在。
 その間、1日2回づつ教えを説かれる。(この時にドリル先生も2000年前の前世で、イエスの教えを直接聞かれ、食事も共にされた。イエスの声は、文字通り銀鈴の様だったそうである)
・次にラッサ市の地下深くにあるシャンバラへ行かれ、4年半すごされ、人類向上の新しい試みもなされた。
・この時からイエスは、シャンバラの大聖がた(144人)の首長となられ、地球を去るまでその地位におられた。
・シャンバラに4年半滞在後、別の地下王国(南太平洋の地下奥地)へ行かれる。15年間にわたってレムリヤ種族(日本人やユダヤ人の源流でもある。当時そこに幽閉されていた)を指導され無数の魂を外界へ送り出される。
・それから地球中心の奥部に入られ、幽閉されたネガティブ(否定、消極)の者どもを二ヶ月間指導される(”秘境真義”参照)
・再び地上に戻られ、パレスチナ、ギリシャ、スカンジナビアの各地を回って各秘院で教えられる。
・その後アメリカ大陸(南・北)にわたられ、9年間各地を回って教えを説かれる。
・再びシャンバラ(北極地方の地下、今も秘密事項)へ行かれ、35年間の長きにわたって、地球の将来と第七地球サイクルの準備をされた。
・満100歳の日から10日目に各地の弟子たちを集めて(魂の肉体脱出で)最後の教えを説かれた後、頭部から火炎冷火を発し、全身を火で包まれ、燃焼しつくされた。残ったものは、大きな真珠大の輝く宝石の様なものだけ。(今も北方シャンバラにある)。


・地球を去られてからは、宇宙聖白色同胞団へ行かれ、そこの大聖として、宇宙進化のために働かれる。
m・ドーリル 聖書の真義より

聖書の真義―福音書と預言書の秘義解明
聖書の真義―福音書と預言書の秘義解明
霞ケ関書房


グレートホワイトブラザーフッド「聖白色同胞団」にも、光と影にも、影の偽りのものがいます。
思想は為になっても、識別の力が必要です。
影の地上のも存在は、皆、偽りのエゴで、無知で断定して、虚無思想に走ったり、独善になった教祖に成り下がったり、思想を利用し、隠密に表面上で世界を操る影の勢力がいます。
どれも偏りであり、自分本位な、正しさを主張していて、検索サイトが本質をすべて物語ってる。


断定してはいけない。
「実存は本質よりも先立つ」
サルトル

それぞれの本質との特徴があります。
私も断定してはいけないのであくまで、推測ですがグレートホワイトブラザーフッド「聖白色同胞団」光はシャンバラの本拠地は空洞の地下の地球にありまして、地球全部を尊重して地球全部を尊重し、地球全部を愛し、地球全部生き物「存在」を観察し、道しるべや共時性、運命を使って守っています。